「ホテル・ルワンダ」感想

本編が終わりエンドクレジットが流れ出した館内はざわめきも無く、シンと静まりかえり席を立つ人もいなかった。普通の映画館でこんな光景は初めて見た。
エンドクレジットが終わり場内が明るくなってからようやく席を立つ観客達。

九条の座席数76席という小さな映画館は平日の最終回と言うこともあり8分ぐらいの入り。

先に見たお友達のスパ子ちんが自分の日記の中で「映画で疲れ切って」と書いてあったのが、よくわかりました(ミクなんでURL書かない)。
2時間余りの上映中、エンドクレジットが流れるまでホントに緊張しっぱなしの映画です。予告編をご覧になられた方はヒューマンな感動大作を想像してたと思いますが(もちろんそうした面もこの映画にはあります)良質のサスペンスが持続する娯楽作としても優れた作品です。
僕は涙を予想してバンダナを持っていったのですが、上映中大汗を拭い続けることとなりました。


もしも、昨日まで親しくしていた隣人達が突然、自分や自分の家族を殺しに押し寄せて来たらどうしますか。手に手に武器を持った群集が家を取り囲み、理由もよくわからないままナタや棍棒で殺されるのを待つしかないとしたらいったいどうしますか?
ジョージ・A・ロメロが「ナイト・オブ・ザ・リビングデッド」や「ゾンビ」で描いた恐怖が現実として起こったのが1994年、アフリカのルワンダでした。

長年続いていた民族間の争いは、多数派フツ族の大統領が暗殺され、それが少数派ツチ族の仕業だとデマゴーグされたことがきっかけで100日間の間に少なくとも80万人が虐殺される大惨事へと発展します。
80万人……。当時のルワンダの人口の10%。日本だと福井県または山梨県徳島県高知県がほぼ全滅する人数。鳥取県または島根県を全滅させてまだ余りある人数です(平成16年10月1日時点)。
フツ族民兵たちはツチ族を「ゴキブリ」と呼び、主に「マチェーテ」というでかい山刀や、「マス」という釘を打った棍棒ツチ族や穏健派のフツ族の人々を次々と殺戮してゆきました。女性や子供もツチ族の種を絶やす目的で容赦なく殺戮したのです。
そんな中、国連は早々にルワンダを見放し、ルワンダ国内の外国人を帰国させPKOを縮小撤退させてしまいます。


首都キガリにあるベルギー資本のホテル「ミル・コリン」の副支配人、ポール・ルセサバギナ(ドン・チードル)はフツ族でした。隣人が軍に云われないスパイ容疑で連行され銃で殴られているのを目撃しても「自分にはどうしようもない」と諦める「普通の人」でした。
しかし、愛するツチ族の妻、タチアナ(ソフィー・オコネドー)や子供達、自分を頼ってきた隣人達をホテルに匿ううち、行き場所を失いホテルに押し寄せて来た1200人余りの命を救うための勇気ある行動にでます。武器と言えば、長年ホテルマンとして培ってきた話術やコネのみ。軍や民兵達を賄賂で買収し、嘘やハッタリをかまし、ある時は軍人に脅しをかけ必死で家族や自分を頼ってきた人々を守ろうと奮闘します。


公式サイト→http://www.hotelrwanda.jp/


この映画を観て、「アフリカはアフリカ、日本は日本」というようなミニマムなとらえ方をしてしまうと、この映画の意図はほぼ死んだも同然です。

現在まで続くアフリカ諸国の混乱や悲惨な状況を知ることも大事です。
しかし、私たちの中にある「他者(異端者・外国人その他もろもろ)への排他性」や、状況さえ許されればどんな残虐なことも平気でやってしまう「人間の本能」について考え、それに立ち向かう勇気を持って欲しいという、極めて普遍性の高いテーマをこの映画は訴えていると思います。
「アフリカのことだから」と地域限定の事象としてとらえてしまうと、自分のこととして省みる機会は失われてしまい、それこそ「他人事」という認識しか持てないと思います。

映画評論家の町山氏が言うように、関東大震災朝鮮人虐殺からまだ100年も経っていないのです。自称「自警団」が街中に立ち、道行く人に「ガギグゲゴと言え」と竹槍をつきつけ、うまく言えないと「朝鮮人」として殺害したとされる「関東大震災朝鮮人虐殺」など、まさに「ホテル・ルワンダ」と同じ状況ではないでしょうか。

付和雷同型の国民性を持つ日本人こそ、このテーマをより深く考えるべきだと思います。


【本音】
でもなあ。この映画のどこを観てたんだという感想があちこちにあるんです。ほんとうに人間は(私も含め)もうだめかもしれない。